子供の社会の歴史の教科書を読んでいると、ほんと為になる事や驚きの制度が沢山載っています。

読み進めていくと歴史の世界へと引きずり込まれます!その中で私の中でひと際気になる制度があります。それが参勤交代。

気になる事はある程度調べたいのが私の性格!(^^)!

泰平の世を260年も実現した江戸時代。それに大きく関与している制度参勤交代。

参勤交代の大まかな概要はこちらの記事に書いています。

参勤交代とは?簡単に説明しますよぉ!~あなたの疑問が納得に~

今回は、もう少し掘り下げて私の様に参勤交代が気になるあなたにお話していきますね。

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日本橋を起点とする五街道

日本には五街道と言う歴史的に有名な街道があります。これは将軍(江戸幕府)が参勤交代の為、江戸、日本橋を起点として、全国に街道を整備しました。

徳川3代将軍家光が定めた参勤交代の制度を受け、4代目将軍家綱が整備した街道です。

そしてこの五街道のうち、特に重要視されたのが東海道です。江戸から京都までの約502kmの道中に、途中、53もの宿場があったんです。それが東海道五十三次です。
この街道は参勤交代でかなりの賑わいを博していました。宿場町において、一日300人が通行する程だったんです。
 
東海道とは逆に中山道はあまり人の往来がありませんでした。これは道中、険しい山々が多かったためです。
なので、東海道の裏道的な存在となっています。
 

江戸の防衛と治安維持

参勤交代に使われている五街道。凄く重要な街道です。そしてこの様な事にも役立っていたんですね。それが「江戸の防衛と治安維持」

江戸を中心とした五街道を全国に配した幕府は、街道沿いに関所と言う、検問所を設けて誰もが自由に通行できない様にしました。

この当時からかなり治安維持の徹底が行われているんですね。

これら全国に設置された関所は五十か所以上に及んでいました。その中でも東海道に設置された箱根関所は最大規模を誇っていました。

 

では、それだけ治安の維持に徹底した関所を、一般の人が通行する事は出来たのでしょうか?これは手形があれば一般庶民の方も勿論通過できました。

その手形がこちら。
  • 男性は往復手形
  • 女性は関所手形
それぞれの手形を提出する事で一般の人が通行する事が出来たのです。もしこれらの提出物(手形)を所持せずに関所を通過したり、関所を通過せずに裏道を使って通行した場合は、関所破りとして罰せられたんです。

でも、その審査はそれ程厳しくなかったみたいですよ。

 

次に参勤交代のもう一つの決まり事である妻子や家臣を江戸に住まわせる!を少し掘り下げていきますね。

全国の大名は江戸に屋敷を構えた

参勤交代の制度が出来て、大名は一年おきに江戸を往復する制度が義務付けられました。そして大名が江戸から自国領に帰っている間はその大名の妻子や家臣を江戸に住まわせると言う義務もありました。

ここからなんですが、全国の各大名は妻子や家臣を江戸に住まわせる為、江戸に屋敷を構えたんですね。それが大名屋敷!その屋敷は藩の江戸出張所の役割をしていたんです。

今で言う所の各国の大使館の規模の小さい形に近いですね。

そしてまた、大名屋敷にも位があったんです。それはこの様な感じに分けられていました。
  • 上屋敷
  • 中屋敷
  • 下屋敷
それぞれの藩の規模や石高によって屋敷に住み分けられていました。

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世界的にも稀な秦平の世を現出!

江戸幕府って260年以上も続いたんです。これは世界的に見ても稀な平和の世だったそうです。そしてこれだけ長らく続いた奉平の世を実現できた政権は日本史上初なんです。

どうしてこのような長期にわたって政権を維持できたのか?それには幕府が施した色んな秘策があったからなんですね。その中の一つとして「幕藩体制」が挙げられます。参勤交代をしている大名がそれにあたります。

 

当時では江戸幕府の支配下の元、全国には260~270もの藩があったんです。そしてこれらの藩を統治しているのが大名。諸大名にはある程度の支配権限は認められていたのです。でもその所領は幕府から安堵されるという形だったのです。

そして今語っている参勤交代も長らく平和の世が続いた事にも大きく影響を与えています。

 

かたや幕府の勢力に属さないグループも当然あります。それは天皇を中心とした朝廷や寺院勢力などです。これらの勢力が幕府に反旗を振るうかもしれない。それらに対しても幕府は徹底した制度(武家諸法度)(禁中並公家諸法度)を配して危険分子を排除していったのです。

 

この様にして色んな制度や決まり事をつくって江戸が260年にも及ぶ安定した平和な世が実現したんですね。

 

参勤交代は駆け足で宿代を倹約していた?

参勤交代で大名行列に同道する人数は何で決められたのか?それは石高に応じて決められていました。だから大きな石高の藩となると大名行列の規模も大きくなったんですね。

そしてこの大名行列、藩の力を世に見せつけると言う役割も果たしていたんです。他の藩に劣らない様により多くの人数を配置したり、派手な衣装を着飾ったり。色んな事がなされていたんですね。

 

次に、大きな規模の藩だとどれ程の行列なのか?

日本最大の加賀藩では一回の参勤交代で4000人もの家来を連れて江戸に向かったんです!そしてその資金も凄い規模です。一回の参勤交代で約4億円程だったようです。なのでこの大名行列の経費をいかに抑えるか?各藩とも、節約に大変苦労しました。

例えば大名行列のパフォーマンス。人が大勢いる所では威厳を見せてゆっくり行進します。でもいざ人が見えなくなると、すぐに駆け足で進んだのです。一日でも早く進む距離を稼いで節約をしたかったんですね。行列だけではなく、江戸での生活費や幕府との交際費も合わせて藩財政の三分の一以上にもなったんです。

 

そりゃそうですよね。何千人という人数を養っていくのですから。大変資金の掛かる制度です。

 

まとめ

今回、参勤交代でも少し掘り下げて私なりにご紹介させてもらいました。

もう一度まとめてみますね。
  • 参勤交代が制度化したした為に五街道が発達した
  • 五街道の関所は防衛と治安維持の為にあった
  • 参勤交代で江戸にも大名屋敷(藩の江戸出張所)が必要だった
  • 幕藩体制で長く平和な世が260年も続いた
  • 参勤交代は節約する為、人が見ていない所では駆け足で走っていた
凄い規模の人員と経費が使われていたんですね。ほんと当時の大名行列の方にお疲れさまと言いたいです。

今回の記事で江戸の世は色々と綿密に考えられた制度があったんだと改めて実感しました。

また昔の興味がある事について、あなたに語っていこうと思います!(^^)!