関ケ原の戦いのあった跡地近くに、関ケ原の合戦を再現した体験型合戦資料館(ウォーランド)があるんです。

 

私、最近関ケ原の観光へ行ってきたんです!(^^)!

関ケ原と言えばやっぱり関ケ原の合戦。

今から400有余年昔の出来事です。

今その跡地近くにウォーランドと言う、関ケ原の合戦を復元した体験型資料館があるんですね。

 

「体験型資料館って何?」

 

と言う声が聞こえてきそうですが、読んで字のごとく、体験が出来る資料館の事なんですね。

歴史を変えたこの貴重な関ケ原の戦い。それをウォーランドを通じてご紹介していきますね。

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アクセス

ここ関ケ原ウォーランドは名神高速関ケ原I.Cからかなり近い場所にあります。



簡単なアクセスを記述しますね。
  1. 名神高速関ケ原I.Cを降りて左折します。
  2. そして国道365号線の乗り10分程走ります。
  3. すると道路左側に関ケ原ウォーランドの看板が出てきます。
  4. その看板のある道へ左折して200m程走ります。
  5. 到着!(^^)!
この様な感じで簡単にアクセスできます。

あまりに近すぎて、通り過ぎる場合がありますので注意してくださいね。

 

では、早速ウォーランドをレビューしていきます!

関ケ原ウォーランドをレビュー

関ケ原の戦いがこの近辺であったのは知ってました。

しかし、その近くにこの様な資料館(ウォーランド)があったとは . . .

 

これを知ったのはテレビで特集をしていたから。芸人さんが番組で合戦跡地を取材していたんです。

それを見ていた私は(行かなければ!)と思い、今ここにやって来ました!(^^)!

 

 


ここがウォーランド入り口。

立派な字で(天下分け目の関ケ原)と書かれています。

 

 


ランドへ入って早速驚きです!

それは所々にコンクリートで出来た当時の侍の人形が立っているんです。

 

 


途中、関ケ原の戦いの説明を書いた看板が立っています。

※ここに書かれている事は、西軍の毛利家が戦いに参加しなかったことが西軍敗北の大きな原因と書かれています。

奥が深いですね . . .

 

 


このスナップは徳川家康公と家来の人形。中心に座っているのが徳川家康です。

 

ここには本当に驚く程の人形があちこちに立っています。数で言うと240体以上はあります。

武将像は、徳川公、井伊直政、足軽や鉄砲隊などさまざま。

結構な迫力があります!

 

沢山の人形を写真に収めました。

その一部をここに貼りますね。

 


 

 


西軍の雄、石田三成公の人形です。

リアルです!

 

 


こちらも西軍の宇喜多 秀家です。

※場内ではアナウンスで関ケ原の戦いの説明を流暢に説明しています。

そしてここに沢山のコンクリート像が立っていますが、それらの像の立ち位置も関ケ原の合戦を忠実に意識して建てられています。

なのでここに来られる時は予備知識として、簡単な関ケ原の合戦を理解してから来られると、更に感動を覚えると思います。

 

今回、ここに来れたのをきっかけに、少し関ケ原の戦いについて理解を深めようと思いました。

 

私なりの解釈ですが、関ケ原の合戦を分かり易くご紹介しますね。

関ケ原の合戦を超~分かり易く

歴史を語るには色んな立場の意見があります。なので安易に語るのは良くないと存じています。

でも、ウォーランドをレビューする上で関ケ原の戦いを理解しなければ!と思い、私なりに簡単ではありますがご紹介していきますね。

 

この戦いは何故起こったのか?

 

それは豊臣秀吉公が無くなった後の権力争いによって起こったと言われています。

その権力争いで戦ったのが西軍の石田三成(石田三成)と、東軍の(徳川家康)です。

ではそれぞれの兵力はどれほどだったのか?
  • 西軍(石田三成) 85,000人
  • 東軍(徳川家康) 88,000人
勢力に大きな差はありませんでした。

 

次に戦いの状況をご紹介しますね。

戦いの初めは石田三成宇喜多秀家(うきた ひでいえ)、大谷吉継(おおたに よしつぐ)それぞれの頑張りによって西軍有利で戦いが進んでいました。

が、しかし!

毛利家を中心とした西軍の主力部隊が戦いに参加しなかったり、小早川秀秋(こばやかわ ひであき)による裏切りによって徐々に東軍有利になってきます。

その後に一気に勢いを増した東軍(徳川 家康)により、西軍は総崩れ。

その結果、戦いが始まって僅か一日で東軍勝利となったのです。

 

この戦いに勝利した事で、ここから260年余にわたって江戸時代が続いたんです。

凄い天下分け目の戦いだったんですね。

 

補足

※更に詳しい内容や詳しい事情は今回、省かせてもらいました。ご了承ください。

 

ウォーランド近くには、この様な慰霊碑もありました。

関ケ原の戦い戦没者慰霊碑がある


ここには関ケ原の戦いで亡くなった戦没者の慰霊碑があります。

石碑に(ノーモア)と書かれていますね。

 

 


 

 

ここからは補足情報になりますが、関ケ原の合戦で開けた江戸時代を私なりにご紹介しますね。

江戸の世

江戸時代はどういった時代だったのでしょう?

これは興味がありますよね。

 

戦国の世から天下分け目の戦い、そして江戸時代。

やっぱり物騒な世だったのかな?と思いますよね。私もその様に思っていました。

でも、

いろいろと調べてみると、幕末を覗いてその様な物騒な世ではなく、内乱の無い、世界史上から見てもかなり珍しい平和な世だったそうです。

 

では、なぜその様な平和な世が実現したのでしょうか?

 

それには幕府の支配を絶対的なものにする体制が敷かれていたからなんですね。
  • 参勤交代(宿場、街道、関所の設置)
  • 江戸幕府の中心として、全国に260もの藩を設置(幕藩体制)
  • 幕府に対する危険分子を封じ込める施策を行う
 

それ以外にも沢山ありますが、幕府の力を絶対的なものにして、それを基に町を形成、大いに働き大いに学び、江戸の庶民は泰平の世を謳歌したんです。

要は(当時としては)シッカリした政治の体制が敷かれたんですね。

 

遅れましたがウォーランド詳細をご紹介しますね。

関ケ原ウォーランド詳細情報


 

関ケ原ウォーランド詳細

所在地 : 岐阜県不被郡関ケ原町1701-6

URL : http://www.rest-sekigahara.co.jp

TEL /FAX : 0584-43-0302

入場料金 : 大人500円 小人300円 幼児無料

駐車料金: 無料

 

では、まとめに入ります。

まとめ

今回、関ケ原の戦いがあった跡地(関ケ原ウォーランド)へ行ってきました。

何というか、ここに行ってきて、色んな人形や、関ケ原の戦いを説明した看板を読んで感銘を受けました。そこで家へ帰ってから少し天下分け目の戦いを調べました。

今の安定した安全な現代に至るまで、本当に沢山の出来事があり、試行錯誤をしたんですね。

関ケ原ウォーランドで沢山の事を学びました!

それでは、また。