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昨日、子供が学校で使う教科書を見ていたら面白い本がありました。
それが社会の歴史の本(‘◇’)ゞ
凄い興味を惹かれる事が沢山載っていたんです。
その一つに参勤交代を分かり易く絵に描いた本がありました。これって今の時代ではあり得ない凄い不思議な行列です。
私も子供の頃、社会の授業で歴史について勉強した記憶がうっすらあります(´ω`*)。でも私は勉強が苦手だったので
参勤交代=勉強=嫌(>_<)
この様な構図になっていたんですね。
それが!
それがですよ、社会人になってしばらく勉強をしなくなると勉強が恋しくなるんです。
「そんなん嘘や!」
と言う声が聞こえてきそうですが本当です(/ω\)
そんな勉強が恋しい?時に社会の教科書で参勤交代の事が書かれたページが目に止まったんです。
で、読んでみると面白いんです♪
そこでこの参勤交代と言う今から400年前に存在した制度を、私目線で分かり易くあなたにシェアしていきますね!
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目次
参勤交代とは?
参勤交代とは、各地方の大名が一年おきに江戸と自国の領を往復する制度です。元々これに近い事は戦国の世(豊臣秀吉公の時代)にもあったのですが、江戸時代に入り徳川幕府三代将軍徳川家光が法令として制度化しました。
では、参勤交代で江戸と自国領の往復でどの位の距離と日数をかけて歩いたのでしょう?
実際に江戸に近い藩だと数日で江戸に到着しました。それが遠い藩主だと2カ月はかかります。昔は今の様に文明が発達していません。なのでひたすら歩いて自国領から江戸に徒歩で向かいます。
そして一日で歩く平均移動距離は40kmと言われています。
これって凄くないですか?
それが江戸から随分離れた距離にある大名の方だと片道40日間歩き続ける大変な行事でした。
今の現代では考えられない大変な行列だったんですね . . .
そして参勤交代では
【藩主が江戸から自国領土に戻っている間、その藩主の嫁さんや子供は江戸に居なければいけない】と言う決まりごとがあったんです。
これは江戸以外の藩主が力をつけて反逆するのを防ぐためとも言われています。
では、次に参勤交代をする目的を調べていきますね。
何故参勤交代?
これには諸説あります。しかし大まかには将軍様と各地方の大名との主従関係をはっきりさせる為だそうです。江戸時代に入り日本は平和な世に入ったそうです。※もちろん今よりまだまだ物騒な世ですが
このような平和な世ではどうしても将軍様とそれぞれの大名との絆の確認が取りにくくなるもの。そこで参勤交代を行う事で、将軍様への忠誠心を確認する事が本当の理由だったそうです。
絆って何時の時代も大切なんですね。
そしてもう一つ、この様な理由もありました。それは地方の藩(大名)に参勤交代で多額のお金を使わせることで軍事力を抑える役目もあったようです。
地方の藩がどんどん資金を溜めて軍事力を付けていくと、いつか将軍様にたてつくことがあるかもしれない。その様な事があったら大変。そう考えた徳川三代将軍様が参勤交代をシッカリした法令として制度化したんですね。
次にどれだけの人員が移動したのか?探っていきますよぉ♪
どれだけの人が移動したのか?
この参勤交代、いったいどれだけの人が大名行列として自国から江戸に出向いたのでしょうか?これ、凄く気になります!
ざっと数百人から多い行列で2千人が大名行列として江戸に向かっていました。
ビックリですよね!
それだけの大所帯が数百キロの道のりを歩くわけですから。もし現代にその様な行列があればと~っても不思議な光景です。
では、次にどれだけの日数を移動したのでしょう?
移動期間
江戸に一番近い藩は下妻藩(茨城県)で2泊3日です。一番遠い藩は薩摩藩(鹿児島県)で40日とされています。これは陸路と水路を併用して移動をしています。凄く大変ですね。
現代とは随分勝手が違う
今の現代ではほとんどの道は歩きやすいように、車が快適に走れる様に舗装されていますよね。そして天気予報もかなりの的中率で予報をしてくれます。これは現代の日本に住んでいれば当たり前ですが。
それが今から400年前はこの様にはいきません。
参勤交代では歩いて長旅をするにあたって沢山の苦難があったそうです。例えば
- 川を渡る為の橋が無い
- 橋が遠い所にある
- 道らしき道がない
- 道の整備をしなければ前に進めない
そして天気がどの様に変化するかほぼ分からない。天気が悪化するとその分足止めを食らいます。かといって参勤交代で期日までに江戸に着かなければいけない。なので江戸に向かう時、綿密な計画が立てられました。
どの様な大名行列の構成だったのか?
凄い情報が残っていましたよぉ。それは津山藩(岡山県)の大名行列が詳しく書かれた「蒔絵」として残っていたんです。それによると大名行列は次の様な行列で移動をしていました。
先頭は宿泊担当者
↓
お茶を給仕する係
↓
医者。女中の指図役
↓
長持ちの係
↓
風呂桶の係
↓
鷹匠の係
↓
お殿様と家来
↓
お茶の先生
↓
料理人
↓
殿様のお世話係
津山藩は総勢800人余りで16泊17日の旅路をしたのです。そしてこれは平均的な大名行列の旅だったそうです。
色んな方が大名行列に加わっていたんですね。
私が絵巻を見て驚いたのは、
- 大きな風呂釜を持って歩く人
- 殿様や身分の高い人を御籠に乗せてそれを担いで歩く人たち
お次はこれです。
今もその史跡が残っている
私の住む滋賀にはその大名行列の史跡が今も残っています。それが中山道。
今の中山道は普通の道とは少し違う
参勤交代を行う事で日本全国に沢山の主要道路が誕生しました。例えば- 中山道
- 東海道
- 日光街道
- 奥州街道
- 甲州街道
それらの街道の中で、私の住む所から2キロ圏内に中山道があります。
そうです!あの参勤交代が行われた街道の一つが私の近くに史跡として存在しているんです。
これにはロマンがありますね!(^^)!
その道は所々レンガ敷きになっていて、普通の道ではないな!とわかります。
そして道の両脇には等間隔に立派な桜の木が植わっています。これは次の宿場までの距離を分かり易く目印化したものだそうです。
あともう一つ、中山道で有名な史跡が残っています。それが草津宿。
凄いですね!滋賀にずっと住んでいて知りませんでした(>_<)
当時、大名行列は旅の途中、宿に宿泊します。そしてお殿様が宿で宿泊をしている間もずっと誰かから命を狙われます。なので寝るときは小姓が殿様のすぐ側で本を朗読して殿様があたかも起きているかの様にカモフラージュをして敵の寝込みを襲われるのを防いでいたんです。殿様は常に狙われている事を考えると心休まる時が無いですね。大変な職務です。
あとがき
参勤交代がある事で当時の江戸の文化が地方にも反映されたり、宿場町が大名行列が来ることで賑わったり。そして参勤交代をする事で大名の争い事が少なくなり、随分平和な世が実現しました。昔の人はほんと色々考えたんですね。
大金を使い徒歩で長い行列をなして長い距離を移動する!これには色んな重要な意味があったんですね。
私なりに参勤交代を分かり易く、ご紹介させてもらいました。これが参考になれば幸いです!(^^)!
更に詳しく書いた記事もあります。こちらも参考にしてくださいね!(^^)!
参勤交代とは?簡単に説明しますよぉ!~更に詳しくご紹介~
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